昨日は愛車(ライセンスがないので自転車)を駆って買い物兼桜狩。前々から気になっていた桜を目指したら、私道の先にある山裾の私有地っぽい所だったり。萌ゆる青葉を背にした花の見事さにしばし見とれる。
桜は一人で見るものではない。しかし、二人で見れば何故か諍う。
何所かで読んだ文章を思い出す。幼い青葉に背後を彩られた桜は人外魔境めいて見えた。此処に集いて宴を催すのは人ではないかもしれないな、と思わせるほど自然の息吹が強い。一線を引かれた様な疎外感。
それは今一歩を踏み出せない自分の意気地なさを愚弄するのか。近づけぬ樹を見つめつつ思う。
個人的には人工的ライトに照らされた夜桜より、昼日中の桜が好きだ。薄紅の花びらが青空を切りぬくかのように咲き零れる。達した花びらは落ちてくる。満月に照らされるのはいい。けれど、ライトを浴びた桜は金のため春をひさごうと厚化粧した淑女のようで嫌だ。なのに花から葉への移り変わりの早さが、年若き者を連想させる。散っていく桜は何時も「まだ上げそめし前髪の」という一句を呼び起こす。ハニー用に構築した殿(キタムラカズキ)ことかげかつ×かげとら物語の余韻を引きずっている模様。明日は桜の見える座敷で桜の時期に相応しい一冊を読む所存。明日も天気だといいなあ。